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憲法は万能ではない――『改憲論は必要か』を読む(2)
前回に引き続き、憲法再生フォーラム編『改憲は必要か』を題材としたい。
執筆者が護憲派で固められた同書のなかで、ひときわ異色を放っているのが杉田敦氏の論文だ。タイトルは、「『押し付け憲法』は選びなおさないと、自分たちの憲法にはならないのではないか」である。 しかし、こうした表題にもかかわらず、これまで延々と繰りかえされてきた「押し付けか、自由意志か」という議論に割かれているのは最初の5、6ページだけ。残りの14、5ページは、杉田氏独自の「コンスティテューション」観の説明に費やされる。しかも、氏の「コンスティテューション」観とは、これまでの護憲論・改憲論を「テキスト信仰」であるとしてバッサリ切って捨てる、なかなか熱い議論なのだ。うーん、エキサイティング。(^^) うまく要約する自信はないけれども、杉田論文のあらすじをご紹介しよう。 (1)「選びなおし」的な改憲論をどう考えるか ・現憲法の内容に不満は無いが、現憲法の起源にまつわる「ねじれ」を取り除くために国民投票で選びなおしたらどうか、という「選びなおし」的な改憲論を護憲派はどう考えるか。 ・社会契約論的な説明法(「憲法は国民が自由な意思で選び取った。制定時多くの国民が熱狂的に歓迎し、その後も長いあいだ受け入れられてきた」)は、「そんなに社会契約が大事なら、もう一度きちんと選びなおそう」という意見に対し、契約論そのものによって反論できない。 ・普遍主義的な説明法(「現憲法は人類にとって普遍的な価値を体現しており、直すべきところはない」)は、9条のような内容を含む憲法典が類例を見ないものであるため、説得力に欠ける。人民主権に立つかぎり、人民の多数派が求める改憲は止めることはできない。 (2)歴史を重視する「コンスティテューション」という発想 ・英語のコンスティテューション(constitution)は、テキストとしての憲法典だけでなく、統治構造・政治体制も指す。とくにイギリスのコンスティテューションは、「マグナ・カルタ」や「権利の章典」などの文書に加え、さまざまな慣習や判例を合わせた制度構造全体を含意する(フランス、ドイツの法典中心主義とは正反対の特徴)。 ・歴史的にみれば、「憲法典をつくり直すというのは、一挙に政治体制をつくり直すという考え方と不可分であり、これはまさに革命の思想」(p.59)である。 ・これに対し、イギリス流のコンスティテューションは革命ではなく歴史を重視する。日本でもイギリス流の考え方を定着させたい。「国会や裁判所だけでなく、それぞれの地域社会で、会社で、家庭で、人々の関係をどのようなものにするのかをめぐって、議論があり、対立があり、その結果として、ある種の制度や慣行が成立して行きました。(中略)白紙の上に条文を書き付ける作業だけを憲法づくりと考えるのではなく、生活の中で制度や慣行を確立して行くことこそが憲法づくりだと思う」(p.61)。 (3)憲法は万能ではない ・護憲派は、立派な現行憲法があったおかげで戦後の日本はまがりなりにも人権・平和主義・デモクラシーが定着した、だから憲法を守るべきだというが、テキストだけ守っても実践が伴わなければ何にもならない。 ・法律や慣習でどうにもならない問題が改憲で解決できるという発想は、主権国家が万能であるという幻想に依拠したもの。現実に生起している問題は、コミュニティのルール、自治体のルール、国のルール、そして国際法など諸ルールの相互関係の中で解決されるのであって、憲法の条文を書き換えて済むことではない。 最後に僕から若干コメントをしたい。 いかがだったろうか。正直に言って、違和感を覚えられた方も多いのではないかと思う。 まず補足したいのは、杉田氏が「政治の領域」の問題として憲法問題に発言しているということである。これまで憲法はもっぱら「法の領域」で論じられてきた傾向がある。「法の領域」で問題となるのは、国家統治が法規範に従って進められているかどうか、である(swan_slabさんの記事「法の支配」を参照)。一方、「政治の領域」では、現実の利害調整のプロセスが問題となると言っていいだろう。その意味では、杉田氏が現憲法制定から60年におよぶ、憲法の血肉化のプロセスを重視したい気持ちはよく理解できる。 ただ、憲法典が「それだけで何かを実現させる魔力を持っているわけでは」(p.60)ないにせよ、憲法が現実政治に及ぼす影響力の程度については議論の余地があるように思われる。杉田氏がいかにイギリス流のコンスティテューションを理想とし、その考え方の定着をはかろうとも、きわめて集権性の高い日本の法制度を考えれば、その試みは難しいものであると見なさざるを得ない。 このように若干の不満点は残るものの、杉田論文は、政治学者による独創性ある憲法論として評価できると思う。改憲が秒読み段階に入ったと思われる現在、「白紙の上に条文を書き付ける作業だけを憲法づくりと考えるのではなく、生活の中で制度や慣行を確立して行くことこそが憲法づくりだと思う」という指摘は、「ポスト改憲時代」の指針を与えてくれるものだ。 改憲後、たとえ集団的自衛権の行使が認められたとしても、政府が国民に対して海外派兵の正当性を説得しなくてはならない事実に代わりはない。問題は、国民の側に、政府の不当な行為に声を上げるだけの意思があるかどうかだ。 同様のことは政府にも言える。自衛隊に関わる憲法問題をクリアしたところで、日本の置かれた外交・安全保障環境が劇的に変わるわけではない。米国、中国、そして北朝鮮との関係を、日本により有利な形に持ってゆけるかどうかは、政府の具体的な行動にかかっている。
by priestk
| 2004-12-26 03:35
| 政治・政治学書籍
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