日本政治の考察
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ぷち対談:憲法とはなんぞや?
 前回の拙記事「もはや憲法とは呼べない」に対して、Shu's blog 雌伏編のshuさんから、非常に有益なコメントとトラックバックをしていただいた。Shuさんは、僕も登録している人気blogランキングの政治ブログランキングの中でも、最もバランス感覚に優れた記事を書かれるブロガーのお一人である。僕など、shuさんの記事を読み、反省することしばしば。
 さて、今回は、shuさんの記事(「憲法の理念等」)に対する僕の再コメントを掲載させていただきたいと思う。

以下、僕のコメント。

 大変参考になりました。shuさんのご意見に異議はほとんどないのですが、「こういう解釈もあり得るかな」という気持ちで、以下のコメントをさせていただきます(^^)

 憲法の「国家理念(国民的共有理念)」側面について、たしかに見落としていました。この側面は現実に存在しますし、議論する価値が十分あります。
 ただし、僕は、やはり憲法の「本質」は国権の制限にあると思うのです。(西洋の)歴史からすれば、君主の恣意的な国家権力の行使を制限しようとした「立憲主義」の精神は、「国民的共有理念の普及」に先行して成立しているように思われます。1689年名誉革命におけるイギリス権利章典、1791年アメリカ合衆国国憲法、1791年フランス憲法といように。
 もちろん、こうした憲法に「国家としての理念を高らかに宣言し、国民の共通理念とする意義」が無かったわけではないと思います。

 問題は、歴史学の知見からして、憲法制定当時のイギリス、アメリカ、フランス等に実体としてのネーション(=国民)は存在していなかったことです。近代国家による全国一律の歴史教育や国家と国旗の法制化を通じて、歴史の共有が行なわれ、「われら」概念の育成がなされてきたと考えられます(この時点で身分制の実質的解体が行なわれた)。

 以上をまとめますと、まず、憲法は国権制限として誕生した。次にネーションを創出し、一体化させるプロセスの段階で、「国家理念の共有」の側面が重要になってきたと言えるのではないでしょうか。

>国体とは、その国の歴史的背景の中で涵養されてきた共有感覚や理念によるものであるが、これを反映していないconstitutionなどというものは本来あり得ない。

 各国固有の歴史を無視した憲法はあり得ない、というご意見にはまったく同意します。
 しかし、日本の共有感覚や理念が、国権制限、基本的人権、三権分立といった近代国家の基本概念の障害とならない限りにおいて、ですが。僕は、これら近代憲法の基本的概念は、各国固有の歴史を超えた、「人類共通の知恵」だと思うのですが。(教科書に書かれていることにとらわれすぎた妄想でしょうか)。

 また、「その国の歴史的背景の中で涵養されてきた共有感覚や理念」が何であるかについては、幅広い議論が必要だと思います。たとえば、明治維新以降に作られたにもかかわらず、あたかも古代から日本に続くように考えられている「新しい伝統」の位置づけ(私の記事「西園寺公望の皇室観」にあるような問題)など、です。
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by priestk | 2004-11-05 11:25 | 憲法論
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