日本政治の考察
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ぷち対談2:憲法に「理念」はいらないか?
 最近、ブログの新しい面白さが判ってきた。自分の書いた記事が、他のブロガーの手を経て、当初思ってもみなかった発展をみせることがあるのだ。これに関連して、「週刊!木村剛」の11月6日付の記事「ブロガーは裏読みで筆者を越える!」の一文をご紹介する。
ブログの魅力のひとつは、自分の主張を公にさらしてみたときに、自分では想定していなかった鋭い分析や裏読みが為されたりするということにあると思います(中略)オリジナルの筆者を超える解説者が出てくる・・・これもブログ文化のダイナミズムなのかもしれません。
 今回は、憲法観をめぐる一連の拙文を下敷きに新たな議論を展開されたnagoyanさんの記事「憲法に「国家理念」はいらない」に対する僕の感想を書きたい。

 まず、「理念」という言葉について、誤解があるといけないので整理させていただきたい。僕が「憲法に国家理念を盛り込んでもよい」と書いたときに想起していた「理念」とは、自由・平等・博愛を謳ったフランス人権宣言だった。立憲主義とか民主主義と呼ばれる「理念」だ。この意味で、憲法が「理念」と無縁ではないのはnagoyanさんもご指摘のとおりである。

 一方、より「価値的」な理念もある。nagoyanさんが「多数者の理念」とよばれ、Shuさんが「その国の歴史的背景の中で涵養されてきた共有感覚や理念」と呼ばれるものだ。問題となるのはこちらの「理念」である。
 nagoyanさんは、理念を持ち込むことの危険性を次のように指摘する。
憲法に「国家理念」を求めるものは、かならずや、多数者の「理念」を普遍的なものとして、憲法にもちこもうとするに違いない。「常識」論を突破口として、少数者に抑圧的な価値を潜り込ませようとするだろう。
 さらに、記事の後半でこうも述べる。
憲法に必要な「理念」は、「理念」に気をつけろ、あるいは、「理念」を語るなかれ、ということだと思う。国家に「理念」は必要ない。国家は「理念」を異にする人々が共存する「公」的な空間である。憲法は「理念」を異にする人々が、共存しうる「技術」の集約であるべきだ。それ以上のものを憲法に求めては、憲法の前提とする大切な価値が失われてしまう。
 以上から、nagoyanさんは、「価値的」な「理念」は近代憲法と根本的に矛盾する、と論じられているように見受けられる。Shuさんは反対に、国権制限(をはじめとする立憲主義)と国家理念は憲法の「二つの柱」と語っている。

 僕の立場は、価値的な理念の導入を必ずしも否定するものではない(ここがnagoyanさんのがっかりポイント?)。ただし、僕は憲法に盛りこむ価値的「理念」には二つの条件があると拙文「ぷち対談:憲法とはなんぞや?」で論じている。

 ①立憲主義の基本原則(国権制限、基本的人権、三権分立など)を侵犯しないこと、②「その国の歴史的背景の中で涵養されてきた共有感覚や理念」が何であるは決して自明ではないので、幅広い論議を必要とすること、だ。「憲法にあらためて盛り込むほどの理念はなかった」という結論もありだろう。

 しかし、自分で言っておいてなんではあるが、もちろん、こうした条件付けはnagoyanさんが懸念する「少数者への抑圧」の可能性をゼロにするものではない。ただ、反対に、立憲主義や基本的人権の尊重を掲げていれば「少数者への抑圧」がゼロになるわけでもない。フランスの公立学校におけるイスラム教徒のスカーフ着用禁止問題はその一例だと思う。

 個人的には、日本文化の「雑居性」を理念として掲げ、「他者への寛容さ」を打ち出すというのが望ましい方向性だと考える。
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by priestk | 2004-11-07 23:08 | 憲法論
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