日本政治の考察
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耐震強度偽造問題と国家賠償
那古野庵日記さんの記事耐震強度偽装事件について、考えてみた、けど、よくわからん。で指摘されているとおり、耐震強度偽造問題は、自治体からすれば頭の痛い話なのである。

那古野庵さんが引用しておられる判例からわかるように、建築確認事務は、自治体と指定確認検査機関のどちらが行おうが行政行為となる。そうである以上、国家賠償法1条「国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を与えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる」が適用される可能性は否定できない。

したがって、同法1条の「故意又は過失」や「違法」の要件が満たされれば(検査体制の杜撰さからして立証の可能性は高い。)、住民が自治体や国を相手取って訴訟を提起することが考えられる。

しかし、訴訟だから判決が出るまでには相当の時間がかかることが予想されるで、何らかの立法措置によって救済が図られるかもしれない。この場合、建築確認の制度設計に問題があることは明らかなのだから、制度設計者である国土交通省が主たる責任・負担を負う必要があるのではないか。

ところで、『地方自治』4月号の「新発想行政法4(鼎談)」で、小幡純子教授らがこの問題を議論している。この中で、「民間開放した事務については、行政が自ら賠償責任を負うのではなく、資力のない民間が賠償責任を負えなくならないように、保険をちゃんとかけなさいよと義務付けることこそが行政の役割なのではないかと思います。」(86頁。幸田発言)と指摘されていて興味深い。建築確認に関する監視体制の強化と併せて検討すべき事項ではないか。
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# by priestk | 2006-05-07 22:57 | その他内政・外交
福田康夫は運がいい
福田康夫という人は運がいい。

竹島問題によって、安倍氏が避けようとしてきた歴史認識・アジア外交問題がすっかり争点化した。行き詰っているアジア外交は、安倍氏が首相になっても現状維持だが、福田氏ならば解決もしくは改善できるのではないか・・・・・・そんな認識が広がりつつある。

しかし、福田氏が首相に就任したとして、日本の対アジア政策が一体どれほど変わるというのだろうか。領土問題で大きく譲ることができようはずはない。そうすると、せいぜい、在任中は靖国に参拝しないと明言する程度のことではないか。

福田氏は、靖国に参拝しないだけで実に多くのものを獲得する。中国、韓国の大きな歓迎。アメリカも、政府はともかく、世論は歓迎する(アメリカの主要紙が日本のナショナリズムに批判的なのは周知のとおり)。それから、日本の経済界と、国民世論の4割程度から支持を得ることができるだろう。実においしいポジションにいるというほかない。

日本のナショナリズムが高まれば高まるほど、逆説的ではあるが、穏健派の象徴としての福田氏の地位は確固たるものになる。一方、安倍氏は、歴史認識・アジア外交の争点化により、苦しい立場におかれることは避けられない。なぜならば、強硬姿勢を維持しながら、この問題について落としどころを見つけなければならないからだ。

人気blogランキングの政治部門をはじめ、ネットでは福田氏の評判はあまりよろしくないようである。

しかし、福田氏を総裁にしたくない人は、媚中とか売国奴とかレベルの低い批判をやめたほうがよいのではないか。ますますアジア外交が争点化し、安倍氏、麻生氏には不利になるように思われる。

むしろ、格差社会や経済政策で攻めた方がいい。福田氏は格差社会や経済政策について明確な発言をしていないため、場合によってはこれが弱点となる可能性がある。
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# by priestk | 2006-05-05 18:34 | 政局・選挙
ごぶさたでした
みなさま、ごぶさたでした。

priestkです。

入社後、多少は仕事に慣れてきたので、更新を再開しようかと思います。

放談漫談にお付き合いいただけると幸いです。

*頂戴したコメント、TBには少しづつお返事してまいります。
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# by priestk | 2005-05-17 00:37 | 雑談
「女性天皇」の実現は時間の問題か
政府が皇室典範に関する有識者会議を設置
Excite エキサイト : 主要ニュース
政府は27日、「皇室典範に関する有識者会議」を設置することを決めた。来年1月に初会合を開き、秋ごろに報告書を取りまとめる方針。男性に限られている皇位継承を女性にも認めるかどうかなども検討する見通し。
 諮問機関の性格は、往々にして人選に表れる。顔ぶれから、誰がどんな役割を期待されているのか、なんとなく判ったりするものだ。というわけで「有識者会議」のメンバーを見てみよう。
岩男壽美子武蔵工大教授、緒方貞子国際協力機構理事長、佐々木毅東大総長、奥田碩日本経団連会長、久保正彰東大名誉教授、笹山晴生東大名誉教授、佐藤幸治近大法科大学院長、園部逸夫元最高裁判所判事、古川貞二郎前内閣官房副長官、吉川弘之産業技術総合研究所理事長
 まずメンバー10名の所属団体の属性から分類すると……

●政府関係、3名:緒方氏、古川氏、吉川氏
 JICAの緒方氏はもちろん政府系。古川氏は言うまでもない。吉川氏は経済産業省系の独立行政法人の理事長だ。

●研究者、5名:岩男氏、佐々木氏、久保氏、笹山氏、佐藤氏
 岩男氏は男女平等、女性へのエンパワーメントを主張される学者。佐々木氏は言わずと知れた政治思想の泰斗。久保氏は古代ギリシア、ローマ文学がご専門。笹山氏は日本古代史の研究者。佐藤氏は憲法学者。

●その他、2名:園部氏、奥田氏
 園部氏は政府系に入れてもいいかもしれないが、司法関係者ということで、一応「その他」に分類した。奥田氏は経済財政諮問会議のメンバー。ある意味、奥田氏も政府系かも。

 27日午前の情報では、「懇談会のメンバーは、学者や法律の専門家などで構成する予定」とあったにもかかわらず、実際の顔ぶれを見ると、天皇制や日本史の専門家が笹山氏だけということに気づく。ほかの研究者は、もっぱら法律関係の専門である。また、官邸のコントロールが効きやすい政府系のメンバーがそろっていることにも注目していい。

 さて、次はちょっと難しいが、メンバーの女性天皇に対するスタンスで分類してみよう。

●どちらかというと容認:緒方氏、古川氏、吉川氏、岩男氏
 「政府系」のメンバーは、皇室典範改正に前向きな小泉首相の意向を十分承知した上で「有識者会議」の加わったのだから、当然「容認」の姿勢を打ち出すと思われる。岩男氏は、男女平等の観点から容認と思われる。

●どちらかというと慎重:笹山氏
 笹山氏は記紀に関する著名な研究者であり、天皇制の歴史や伝統に通じていることから、典範改正には慎重姿勢を示す可能性がある。

●不明:佐々木氏、久保氏、佐藤氏、園部氏、奥田氏
 西洋政治思想を専門とされる佐々木氏、古代ギリシア、ローマに詳しい久保氏が、天皇制に対してどんな見解を持っているのか、不勉強なので存じ上げない。憲法と法律の専門家である佐藤氏、園部氏がどういう態度を取るのか、やはり一概には言えない。奥田氏についても、判らない。

 そもそも小泉首相が「女性天皇」を容認するような発言をしたことを知った上で、「有識者会議」に参加した人々なので、容認派が多いのは当たり前である。笹山氏は、一種のガス抜き役と考えてよいかもしれない。また、スタンスが不明なメンバーの中には、他の政府系諮問機関で小泉首相のために汗をかいている者も少なくなくない。そういう意味では、「女性天皇」実現に向けて、小泉首相が抜かりなく布陣を固めた――と見てもいいだろう。

 さて、女性天皇あるいは女系天皇に慎重な人々は、これを見て切歯扼腕しているかもしれないけれども、「天皇が天皇ではなくなってしまう」といった心配は要らないような気がしている。「血統原理」が消失した程度で、天皇制そのものが失われてしまうはずはない、と感じるからだ。それを言うならば、むしろ、戦後の「人間宣言」の方がはるかに重大な天皇制の「自己否定」であったはずだ。その瞬間、天皇制は、国家とも宗教とも(少なくとも公的には)切り離されてしまったのだから。

 それにもかかわらず、なぜ多くの国民が現在に至るまで天皇制を支持しているのか。なぜ、昭和64年1月7日のあの朝、小学5年生の僕は無意識のうちに涙を流したのか。天皇制は、日本人の心の深い部分を掴んでいる。これは、美しく、愛しく、そして恐ろしい現実である。
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# by priestk | 2004-12-28 01:45 | 天皇論
憲法は万能ではない――『改憲論は必要か』を読む(2)
 前回に引き続き、憲法再生フォーラム編『改憲は必要か』を題材としたい。
 執筆者が護憲派で固められた同書のなかで、ひときわ異色を放っているのが杉田敦氏の論文だ。タイトルは、「『押し付け憲法』は選びなおさないと、自分たちの憲法にはならないのではないか」である。

 しかし、こうした表題にもかかわらず、これまで延々と繰りかえされてきた「押し付けか、自由意志か」という議論に割かれているのは最初の5、6ページだけ。残りの14、5ページは、杉田氏独自の「コンスティテューション」観の説明に費やされる。しかも、氏の「コンスティテューション」観とは、これまでの護憲論・改憲論を「テキスト信仰」であるとしてバッサリ切って捨てる、なかなか熱い議論なのだ。うーん、エキサイティング。(^^)

 うまく要約する自信はないけれども、杉田論文のあらすじをご紹介しよう。

(1)「選びなおし」的な改憲論をどう考えるか

・現憲法の内容に不満は無いが、現憲法の起源にまつわる「ねじれ」を取り除くために国民投票で選びなおしたらどうか、という「選びなおし」的な改憲論を護憲派はどう考えるか。

・社会契約論的な説明法(「憲法は国民が自由な意思で選び取った。制定時多くの国民が熱狂的に歓迎し、その後も長いあいだ受け入れられてきた」)は、「そんなに社会契約が大事なら、もう一度きちんと選びなおそう」という意見に対し、契約論そのものによって反論できない。

・普遍主義的な説明法(「現憲法は人類にとって普遍的な価値を体現しており、直すべきところはない」)は、9条のような内容を含む憲法典が類例を見ないものであるため、説得力に欠ける。人民主権に立つかぎり、人民の多数派が求める改憲は止めることはできない。

(2)歴史を重視する「コンスティテューション」という発想

・英語のコンスティテューション(constitution)は、テキストとしての憲法典だけでなく、統治構造・政治体制も指す。とくにイギリスのコンスティテューションは、「マグナ・カルタ」や「権利の章典」などの文書に加え、さまざまな慣習や判例を合わせた制度構造全体を含意する(フランス、ドイツの法典中心主義とは正反対の特徴)。

・歴史的にみれば、「憲法典をつくり直すというのは、一挙に政治体制をつくり直すという考え方と不可分であり、これはまさに革命の思想」(p.59)である。

・これに対し、イギリス流のコンスティテューションは革命ではなく歴史を重視する。日本でもイギリス流の考え方を定着させたい。「国会や裁判所だけでなく、それぞれの地域社会で、会社で、家庭で、人々の関係をどのようなものにするのかをめぐって、議論があり、対立があり、その結果として、ある種の制度や慣行が成立して行きました。(中略)白紙の上に条文を書き付ける作業だけを憲法づくりと考えるのではなく、生活の中で制度や慣行を確立して行くことこそが憲法づくりだと思う」(p.61)。

(3)憲法は万能ではない

・護憲派は、立派な現行憲法があったおかげで戦後の日本はまがりなりにも人権・平和主義・デモクラシーが定着した、だから憲法を守るべきだというが、テキストだけ守っても実践が伴わなければ何にもならない。

・法律や慣習でどうにもならない問題が改憲で解決できるという発想は、主権国家が万能であるという幻想に依拠したもの。現実に生起している問題は、コミュニティのルール、自治体のルール、国のルール、そして国際法など諸ルールの相互関係の中で解決されるのであって、憲法の条文を書き換えて済むことではない。

 最後に僕から若干コメントをしたい。
 いかがだったろうか。正直に言って、違和感を覚えられた方も多いのではないかと思う。
 まず補足したいのは、杉田氏が「政治の領域」の問題として憲法問題に発言しているということである。これまで憲法はもっぱら「法の領域」で論じられてきた傾向がある。「法の領域」で問題となるのは、国家統治が法規範に従って進められているかどうか、である(swan_slabさんの記事「法の支配」を参照)。一方、「政治の領域」では、現実の利害調整のプロセスが問題となると言っていいだろう。その意味では、杉田氏が現憲法制定から60年におよぶ、憲法の血肉化のプロセスを重視したい気持ちはよく理解できる。

 ただ、憲法典が「それだけで何かを実現させる魔力を持っているわけでは」(p.60)ないにせよ、憲法が現実政治に及ぼす影響力の程度については議論の余地があるように思われる。杉田氏がいかにイギリス流のコンスティテューションを理想とし、その考え方の定着をはかろうとも、きわめて集権性の高い日本の法制度を考えれば、その試みは難しいものであると見なさざるを得ない。

 このように若干の不満点は残るものの、杉田論文は、政治学者による独創性ある憲法論として評価できると思う。改憲が秒読み段階に入ったと思われる現在、「白紙の上に条文を書き付ける作業だけを憲法づくりと考えるのではなく、生活の中で制度や慣行を確立して行くことこそが憲法づくりだと思う」という指摘は、「ポスト改憲時代」の指針を与えてくれるものだ。

 改憲後、たとえ集団的自衛権の行使が認められたとしても、政府が国民に対して海外派兵の正当性を説得しなくてはならない事実に代わりはない。問題は、国民の側に、政府の不当な行為に声を上げるだけの意思があるかどうかだ。

 同様のことは政府にも言える。自衛隊に関わる憲法問題をクリアしたところで、日本の置かれた外交・安全保障環境が劇的に変わるわけではない。米国、中国、そして北朝鮮との関係を、日本により有利な形に持ってゆけるかどうかは、政府の具体的な行動にかかっている。
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# by priestk | 2004-12-26 03:35 | 政治・政治学書籍