日本政治の考察
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『改憲は必要か』を読む(1)
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 今年10月に岩波書店から出版された憲法再生フォーラム編『改憲は必要か』をざっと読んだ。加藤周一氏の「まえがき」によれば、この本は「今広く世間に行なわれている改憲論の要点について、その背景を説明し、そこに含まれている問題点を指摘」したものだ。
 章立てはQ&A形式になっている。たとえば、樋口陽一氏による第1章のタイトルは、「いま、憲法九条を選択することは、非現実的ではないか」であり、これに応答するかたちで議論が進められていく。参考までに各章のタイトルと執筆者名を挙げておこう。

1 いま、憲法九条を選択することは非現実的ではないか(樋口陽一)
2 国連は無力なのだから、国連中心の平和主義には意味がないのではないか(最上敏樹)
3 「押し付け憲法」は選びなおさないと、自分たちの憲法にならないのではないか(杉田敦)
4 憲法といっても法の一つなのだし、改正の手続だって規定されているのだから改憲にそんなに慎重でなくてもよいのではないか(阪口正二郎)
5 憲法を改めれば、自由や人権の状況も改善されるのではないか(阿部 浩己)
6 市民がどれだけがんばっても、しょせん戦争は止められないし、世界は変わらない。憲法九条も変えられてしまうのではないか(北沢洋子)
7 現実と乖離した憲法は、現実にあわせて改めた方がいいのではないか(水島朝穂)

 執筆者の顔ぶれからもうかがえるように、同書では、全体的にオーソドックスな護憲論が展開される。代表的な護憲論者が、9.11後、イラク戦争後の世界をどう見ているか、その点を把握するという意味では、読んでも損はないと思う。

 ただ、僕に法学や憲法学の素養がないためかもしれないが、読んでいて多少の違和感がある。それは、同書の論文の中には、「現状批判の論」としては適切であっても、「問題解決の論」とは言えないように思われる議論が散見されることだ。

 たとえば、最上敏樹氏は、米英がイラク攻撃に際して国際社会の共同決定という手続きを経なかったことは、「規範の弛緩であり、法の支配の退行」であるという。そして「国連の集団安全保障が不完全であるなら、それを見捨てるのではなく、欠陥を補修し、より実効的なものにする工夫が必要」だと論じる。まことにもっともな意見だと思う。

 それでは、いったいどうすれば実行力ある国連集団安全保障を実現できるのか。最上氏は、国際安全保障を単独行動主義から切り離し、法的責任も明確な国際共同行動とすべきだと説く。
 しかし、これでは「目標」と「手段」が同義反復しているのではないか。極端なことをいうと、目標だけ示して、具体的道筋を描くことを放棄しているようにさえ見える――もっとも、これは法学や憲法学が法的妥当性を論ずる規範の学である以上、やむをえないことなのかも知れないが。

 同様の不満は、樋口陽一氏の論文についてもいえる。
 同氏は、「九条をめぐる改憲と護憲の最大の分かれ目は、『正しい戦争がありうるか』という問いに肯定で答えるか否定で答えるか」にあると主張する。その上で、「正しい戦争がある」とする意見の者は、「『正しさ』を見分けようとする真剣さを示してはじめて、『正しい戦争』そのものを否定する立場と対等に論争する立場に立てる」と述べる。

 樋口氏が見るところ、日本政府はイラクへの自衛隊派遣の「正しさ」について、「いざというときにアメリカに守ってもらえなくなる」以上のことを説明していない。
 また、人道のための武力介入を行うために改憲すると主張するのであれば、難民受け入れなど国内の人権・人道政策を充実させた上のことでなければおかしいではないかという。
 このような樋口氏の主張は、決して全面的に否定できるようなものではない。むしろ、もっともだと思う。

 しかし、結局ここでも問題に思うのは、この主張を政策論として見た場合の実効性の無さだ。樋口氏は、改憲論者の側が「正しい戦争」を行えるようにするため改憲案を提起した後に、論争を行い、国民が選択すればよいのだという。

 うーん、ちょっとおかしくないか。護憲論者が、いくら正しい論争をしようじゃないかと呼びかけても、その条件が整うことは永遠に無いと思われる。改憲論者は「正しい戦争」の是非を論じたいがために改憲論を主張しているわけではないからだ。
 この社会は、正しい論争を通じて正しい答えを導き出すことを自己目的化して動いているわけではない。むしろ民主的な討議のプロセスは、数多ある社会問題を解決するための手段だと思うのだが。

 僕自身は心情的には護憲論に共感を覚えるだけに、こうした法学一辺倒の護憲論にはもう少し説得力を増す工夫をしていただきたいと思う。

 さて、僕なりに興味を引かれた論文もあった。第3章の杉田敦氏の論文である。杉田氏は、護憲と改憲という対立軸そのものが不毛であると断じており、他の執筆者とはやや異なる姿勢を打ち出している。これには、氏が政治理論を専門とされる政治学者であることもかかわっているのかもしれない。
 長くなるので、杉田論文については次の記事でご紹介させていただきたい。
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# by priestk | 2004-12-21 18:22 | 政治・政治学書籍
マキアヴェリと経済制裁
<拉致問題>期限を区切って回答求める 政府・与党が調整
Excite エキサイト : 政治ニュース

 政府・与党間で、12月13日、「期限付き最後通告」案が急浮上してきた。武部勤幹事長の言葉によれば、これは、「期日を設けて最後通告をし、納得できない回答の場合は即刻、経済制裁を発動」する、というものである。回答期限は来年3月が目処とされる見通しだ。

 たしかに、来年3月までの「猶予期間」を設けることで、来年1月下旬に発足する第2期ブッシュ政権の動向を見守っている北朝鮮の出方を探ることができるだろう。米国が動き始める前に日本単独の経済制裁を発動して、北朝鮮に6か国協議再開拒否の口実を与えたくない――という外務省の配慮がにじむ。

 また、「期限付き最後通告」案には、世論の沈静化を図ろうとする政府の意図も伺える。3ヶ月の冷却期間を置けば、熱しやすく冷めやすい国内世論が、どう変わるか判らないからだ。
 一方、経済制裁推進派議員にしてみても、制裁実施後のビジョンが必ずしも描けているわけではない。制裁が効果を上げないだけならまだしも、米国や韓国から批判をうけるようなことになれば、推進派議員は難しい立場に追い込まれてしまう。
 今回の「期限付き最後通告」案は、そんな政府と与党にとって、格好の「落とし所」だったのではないか。

 このように、「期限付き最後通告」案は、国内対策として考えれば無難な方法といえる。しかし、外交方針として適切なのかといえば、かなり心もとない。実際に、「政府内では『完全に満足できる回答は極めて難しいだろう』(外務省幹部)との見方が支配的だ」という。
 もしも北朝鮮が妥協を見せず、かつ国内世論も軟化しなければ、当然、政府は経済制裁を発動せざるを得なくなるだろう。そういう意味では、「期限付き最後通告」案は政府にとって諸刃の剣である。

 話はがらっと一転するが、僕は、経済制裁の是非については一貫して「政策論」の立場から論じてきた。つまり、僕自身が政府の政策決定者だとして、「どうすれば最も合理的に問題を解決できるか」という観点だ。ここでは、「経済制裁は、役に立つかどうか(追記:そして、そのタイミングはいつか)」が問題となる。
 これと対置される立場として、「正義論・道徳論」として経済制裁の是非を見ることもできる。それは、「どのように問題は解決されるべきか」という観点だ。ここでは、「経済制裁は、正義に適うかどうか」が問題となる。
 とすると、経済制裁をめぐって四つの立場があることになるだろう。

①経済制裁は「役に立つし、正義に適う」
②経済制裁は「役に立つが、正義には適わない」
③経済制裁は「役に立たないが、正義に適う」
④経済制裁は「役に立たないし、正義にも適わない」

 僕は、経済制裁の発動は、現段階では拉致問題解決の「役に立たない」と考えている(追記:一方で、国際的環境が整えば、経済制裁は「役に立つ」と考えている)。その理由は繰り返し述べてきた。しかし、制裁発動が「正義に適う」のかどうかは、未だに断定できずにいる。
 拉致という非人道的な「国家犯罪」を犯した国に、経済制裁を実施し人道支援を凍結することは、「正義に適う」とも思う。一方で、こうした「正義に適う」報復の連鎖が、いま地球上に存在する戦争・紛争・抑圧の原因の一つであることも理解できる。

 マキアヴェリはこう言う。
まさにとられる解決策によって国家の安全が左右されるような場合には、正義か不正義か、人道的か残酷か、栄光か恥辱かなどということを考慮する余地はない。そうではなくて、ほかのすべての考慮を排して、「どの道がこの国の生命と自由を救うのか」ということのみを問うべきなのである*1。
 マキアヴェリですら、「国家の安全が左右される」緊急事態以外では、正義や人道や栄光は顧みられる有効な手段であると考えていることに注目したい。
 日本は今、「まさにとられる解決策によって国家の安全が左右されるような場合」に直面しているのだろうか。そうであれば、あらゆる手段を検討しなくてはならない。そうでなければ、ぎりぎりまで、政府には「正義に適う」道を模索して欲しい。

*1 バーナード・クリック『現代政治学入門』講談社学術文庫、2003年、33ページ。
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# by priestk | 2004-12-14 02:55 | 日朝関係論
日本における個人主義批判の思想的伝統
 サラリーマンサバイバル日記さんの記事、「『立憲主義』自民を包囲/衆・参の憲法調査会、論議最終盤へ」を拝見して、ひとつ気がつくことがあった。結論から言えば、日本には「個人主義批判の思想的伝統」があるのではないか、ということになる。

 「今の日本人は行き過ぎた個人主義がはびこっている」という考えが自民党内に強まってることについては、たびたび報じられている(参考)。僕自身は自民党の認識にはかなり違和感を覚えていて、以前の記事でも取り上げてきた。

 普通、自民党の憲法観は、「法学のイロハをしらない」とか「立憲主義の否定」という言葉で批判される。たしかに、法律家の立場からすればもっともな批判である。しかし、一見、思いつきの域を出ないようにさえ見える自民党の「個人主義批判」の思想的な根っ子は、かなり深いのではないかと思うのだ。

 結論めいたことを言うと、「行き過ぎた個人主義」を批判する思想的立場は、昭和12年に文部省が編纂・刊行した『国体の本義』の思想と酷似している。

 『国体の本義』は、大正デモクラシー以降、定説的な地位を占めていた美濃部達吉の天皇機関説を否定した「国体明徴運動」のイデオロギーを確立したもの、と言えるだろう。一部の右翼的な団体のものでしかなかった国体思想が、『国体の本義』をもってして、日本の公定イデオロギーとされたのである。

 また、同書が著された昭和12年という年も気になる。昭和12年7月7日には盧溝橋事件が勃発し、日中戦争が始まった。翌昭和13年には国家総動員法が制定されている。つまり『国体の本義』は、本格的な戦時体制へ移行するにあたって、日本社会の思想的引き締めを図ったものと見ることが出来るかもしれない。

 それはともかくとして。
 同書の「結語」には、以下のような一文がある(以下、引用は近代日本思想史研究会『天皇論を読む』講談社現代新書、2003年)。

明治維新以来、西洋文化は滔々として流入し、著しく我が国運の隆昌に貢献するところがあったが、その個人主義的性格は、我が国民生活の各方面に亘って種々の弊害を醸し、思想の動揺を生ずるに至つた。併しながら、今やこの西洋思想を我が国体に基づいて醇化し、以って広大なる新日本文化を建設し、これを契機として国家的大発展をなすべき時に際会してゐる。
 ここで言う、西洋文明の「醇化」とは、「その本質である『個人主義』を切り捨て、『自然科学』や『精神科学』『及びその結果たる物質文化の華やかな発達』を輸入すること」を指している。手っ取り早く言えば、「和魂洋才」である。

 また、同書は、人間とは、現実の存在であると同時に「永遠なるものにつらなる歴史的存在」であって、「国民精神に基づいてその存在が規定される」という。つまり、個人は単独で存在しているのではなく、あくまで「国民」という有機的に結びついた存在の一部だと規定される。つまり、独立した個々人が集まって社会を構成していると見る、社会契約説的な社会観を否定しているわけである。

個人主義的な人間解釈は、個人たる一面のみを抽象して、その国民性と歴史性とを無視する。従つて、全体性・具体性を失ひ、人間存立の真実を逸脱し、その理論は現実より遊離して、種々の誤つた傾向に走る。ここに個人主義・自由主義乃至その発展たる種々の思想の根本的なる過誤がある。
 このように、国体思想を、西洋思想の一バリエーションとしてではなく、西洋思想よりも一段高いレベルにあるものとする考え方は、「近代の超克」を図った当時の思想家に共通している。

 もちろん、現在では「国体思想」そのものの優位性を信ずる人はごく少ないだろう。しかし、近代立憲主義の掲げる「普遍性・非歴史性」を顧みることなく、国体思想の思想的柱である「国民性と歴史性」をごく自然に受け入れる自民党の姿勢は、『国体の本義』の精神と通じるものがある。

 「今の日本人は行き過ぎた個人主義がはびこっている」。近所の口うるさいジイサンがため息まじりにもらすようなありふれた言葉だが、その根っこは、結構深いのかもしれない。だとすれば、立憲主義者の側も、教科書どおりの反論をするだけでなく、もっと本腰を入れた議論を行なわなければいけないのではないか。
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# by priestk | 2004-12-10 20:30 | 憲法論
遺骨は別人――戦略的な北朝鮮外交を
北朝鮮から持ち帰った遺骨は横田めぐみさんとは別人=官房長官
Excite エキサイト : 主要ニュース

 許しがたいことではあるが、大方の予想通りの結果だったのではないだろうか。そもそも北朝鮮のような独裁国家が拉致の事実を認めたこと自体が「奇跡的」なのである。

 北朝鮮は、もはや拉致の真相に迫る情報を出すつもりはないのではないか。「真相」がどのようなものか、僕に知る由も無いが、それはおそらく日本の世論を激怒させるものだろうと思われる。情報を出しても出さなくても、日本の反発を買うのであれば、いっそ嘘の情報でも出して時間を稼ごう……そんな北朝鮮の意図が透けて見える。

 政府は、12.5万トンの食糧支援の見合せと、中国を通じての北朝鮮に対する厳重抗議を行うという。北朝鮮の約束した調査が極めて不誠実であることが判った以上、やむを得ない措置だろう。

 ただし、日本単独の経済制裁発動には慎重を期すべきだ。NHK10時のニュースで家族会事務局長の蓮池透氏が主張されていたように、経済制裁の発動は「目的」でなく「手段」に過ぎない。蓮池氏は、国際的な北朝鮮包囲網を形成したり、あるいは経済支援をちらつかせて北朝鮮の妥協を引き出すことも重要であると指摘されていた。つまり、戦略的な北朝鮮外交の必要性を主張されていたわけである。この意見に僕も全く同感だ。

 以前の記事で繰り返し述べてきたように、北朝鮮を追いつめるためには、国際的包囲網の構築が不可欠である。しかし、アメリカは融和的な「ボールド・アプローチ」も選択肢に入れている。韓国や中国は現段階では経済制裁を考えている様子は無い。このような国際環境の中で日本だけが突出すると、6か国協議は日本抜きの「5か国協議」になってしまいかねない。

 拉致問題解決の手段として、何が最も適切なのか。『ニューズウィーク 日本版』12月1日号によれば、慶応大学の小此木政夫教授は、「今のところ、拉致問題を解決する手段はない。解決することがあるとすれば、それは核問題で北朝鮮が妥協する気になったときだろう」と言う。

 専門家の意見は傾聴すべきだが、静観する以外にも日本政府が積極的に打つ手はあるのではないか。たとえば、拉致問題を国際的にアピールすることや、対北朝鮮経済支援の撤回をちらつかせて、アメリカや中国により強硬な姿勢を求めることだ。

 いま、日本と北朝鮮は、壮絶な外交戦を繰り広げている。一時の感情に流されて、戦略を誤るようなことがあってはならないと思う。
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# by priestk | 2004-12-09 00:25 | 日朝関係論
経済制裁とイラン核問題の教訓
<町村外相>北朝鮮への経済制裁 発動は慎重に判断すべき
Excite エキサイト : 政治ニュース
 町村信孝外相は5日のテレビ朝日の報道番組で、北朝鮮に対する経済制裁の発動について「なかなか難しいのは、制裁をやれば、彼らは『日本がそういう制裁をとっているのだから』と言って、6カ国協議などの会談に応じてこないなどの妙な口実を与えてしまうことだ」と述べ、発動は慎重に判断すべきだとの考えを示した。
 自民党の安倍晋三幹事長代理らが制裁発動を求めていることについては、町村外相は「単純にすっといけばいい、ということではない。しかし選択肢として持っているのだから、使うべき時は使う」と述べた。
 無難な認識だと思う。経済制裁は、北朝鮮経済にいくばくかのダメージを与えると思われるものの、それが拉致問題の解決につながるという見通しはない。
 「ニューズウィーク日本版」12月1日号によれば、北朝鮮の貿易総額に占める対日取引の割合は2003年度8.5%にすぎない。おまけに北朝鮮はもともと他国への経済依存度がかなり低く、GDPに占める貿易額の割合は10%~15%と見られている。したがって経済制裁の発動は、日本国内世論のガス抜きにはなっても、拉致問題を解決する決め手とは言いがたいように思われる。

 とは言え、僕は経済制裁というオプションを頭から否定するつもりはない。実際、制裁推進派と慎重派が裏で手を握りながら丁々発止を演じて見せることは、北朝鮮を牽制する意味で有効だと考えている。「与党の声を抑えきれなくなっている。少しは譲歩してくれないと世論も持たない。本当に制裁することになってしまうぞ・・・」と日本から北朝鮮に圧力をかけるのだ。もっとも、この「演技」が行き過ぎると、国内世論が過熱化して、政府も経済制裁発動を引くに引けない状態に追い込まれる可能性はあるのだが。

 経済制裁が現実味を帯びてくるとすれば、6か国協議が不調に終わり、アメリカが強硬路線に転換した時だろう。実際、今回のイラン核開発問題でも、アメリカは経済制裁含みで国連安保理への付託を狙っていた。

 ただ、ライス長官の登場で、アメリカの北朝鮮外交が強硬化することを期待する見方もあるが、その可能性はあまり高くないのではないか。二つ理由がある。

 一つは、先月25日、2年前の米朝高官協議でアメリカが示した「ボールドアプローチ(大胆な提案)」の全容が判明したことだ。11月26日付「朝日新聞」朝刊の記事「米、北朝鮮に包括支援提案 02年協議、核放棄の見返り 」によれば、「ボールドアプローチ」は、核放棄と見返りに国家建設と国際社会復帰への包括的な支援を約束するものとされる。

 この命名者はライス氏本人であり、「この時期に複数の高官が詳細を語った背景には、第2期ブッシュ政権の発足を前に北朝鮮の出方を探る意図がうかがえる」という。つまり、ライス長官のオプションの中に、この融和的方針が含まれているのはほぼ確実と言うことだ。

 もう一つの理由は、ここにきてイランの核問題がこじれていることだ。イランがIAEA理事会決議に従いウラン濃縮関連活動を停止したことで、アメリカ単独の安保理決議付託というシナリオは当面回避された。しかし、イラン前大統領のラフサンジャニ最高評議会議長は12月3日、ウラン濃縮関連活動停止は最長6カ月間だと述べており、英独仏3カ国との経済・技術支援交渉の首尾によってはふたたび問題がぶり返す怖れがある。

 イランの核問題を放置すると、イランへの対抗的措置として近隣中東諸国の核開発が活発化し、それに対するイスラエルの先制攻撃が起こりうる(12月6日付『朝日新聞』朝刊の記事、「中東潜む『核連鎖』」を参照)。イランの核問題は正念場を迎えている。第2期ブッシュ政権にとって、北朝鮮問題を当面措いてでも取り組むべき課題となるかもしれない。

 では、いま、日本は北朝鮮問題にどう取り組むべきなのか。ヒントになるのは、今回のイラン問題で、アメリカの強硬路線が頓挫した原因を考察することだ。11月30日付『毎日新聞』記事「IAEA:イラン 米、国内保守派の圧力回避に成功」によれば、「イランがとった戦術は、中国、ロシアの理解を求めて安保理付託の場合に備えながら、欧州との交渉を継続して米欧を分断させることだった」。その結果、イランは、経済権益をちらつかせて中露を取り込み、米欧の温度差につけ込んで、まんまと原子力の平和利用の権利をIAEAに認めさせた。

 要するに、もっとも警戒すべきことは、関係国の足並みの乱れなのである。いま6か国協議関係国は、当事者である北朝鮮をのぞき、協議の早期再開で一致している。また6か国協議を、最も重要な交渉の舞台と位置づけている。Tomorrow's Wayさんの言葉を借りれば、6か国協議は対北朝鮮「ABC包囲網」だ。日本は、これを最大限活用して、北朝鮮をギリギリと締め上げていくべきではないか。

 拉致被害者家族の皆さんの心情を考えれば、大変忍びないのだが……時間がかかっても、日本は関係国と共同歩調を取りつつ、同時に拉致問題への国際的関心を高めながら、粘り強く交渉していかなければならないと思う。日本単独で経済制裁を発動することは、むしろ北朝鮮にとって思う壺となってしまう可能性あることを認識する必要がある。
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# by priestk | 2004-12-06 13:10 | 日朝関係論