日本政治の考察
by priestk
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あやしき人々
 僕はpriestとして糊口をしのいでいるわけだが、残念ながらはっきり申し上げて霊感のようなものはない。幽霊を見たこともなければ、超常現象を体験したこともない。
 よく、あたかもpriest自身が神秘的な能力を持っているように誤解される向きがある。しかし、少なくとも、日本の伝統宗教に属するpriestにはそのような力はないと言っていい。霊力を発揮されるのは神仏ご自身であって、神主や僧侶ではないのである。
 もちろん、priestの中には、長年の修行によって得た豊かな教養や味わい深い哲学、そして一種のカリスマ性をお持ちの方はいらっしゃるのだろうけれども、それは決して神秘的な「何か」ではない。

 さて、霊感に縁の無かったはずの僕が、先日、総武線で不思議な人物と遭遇した。
 時刻は昼過ぎ。冬晴れのよく晴れた日であった。車内はわりと混んでいる。僕はつり革にぶら下がり、高橋克彦著『炎立つ』の最終巻を読んでいた。Shu's blog 雌伏編さんの記事で以前紹介されていた本で、これがめっぽう面白いのだ。

 黙々と読み進むうち、ある駅で僕の目の前の座席が空き、黒っぽいコートを着た女性が座った。僕の右手の『炎立つ』ごしに、女性と目が合った。年のころは30代後半か。色が白い。ごくごく尋常なご婦人であった。もちろん、覚えのある顔ではない。

 数分後、異変が起きた。僕の両足の靴の先端に、なにやら感触がある。見ると、その女性の靴が僕の靴の上にちょこんと載っている。しかも、本人はそのことに気づいているのかいないのか、一向に自分から足をどける様子が無い。仕方ないので、僕は何も言わずにそっと両足を動かした。女性はこちらを見るでもなく、じっとしている。

 まあ、こんなこともあるだろう――。それから再び僕は『炎立つ』の世界に没入した。ところが、その数分後、今度は僕の右足に女性の靴が載った。ここで僕はちょっと疑念を抱いた。ひょっとして知り合いか?知り合いが気づかせようと思ってふざけているのか?

 相手の顔を見た。やはり、どう見ても知らない顔だ。女性は眠るでもなく前を見ているが、僕と目は合わせない。普通ならここで声をかけるところだが、僕はこのままいつまで女性が靴を載せているつもりか試してやろうという気になった。

 じりじりと時間が経った。もはや『炎立つ』どころではない。文字が頭を素通りする。ほんの1、2分で女性は靴をどけたが、おそろしく長い時間に感じた。

 これは、ちょっと変な人にちがいない――。そう思い定めて、精一杯、両足を女性から遠ざけた。ところが、女性は座ったまま足を伸ばし――今度は僕の左足に靴を乗せた。その瞬間、肌があわ立った。思わず女性の顔に目を向けると、今度は向こうもこちらをしっかりと見つめている。僕が声を上げようとした途端、電車が駅に着き、女性は降りた。

 冷静になって考えれば――女性は一種の逆セクハラをしていただけかもしれない。妻や妻の妹はそう言って笑う。しかし、電車を降りた直後、僕は父から以前聞いた話を思い出していた。

 ある日、父が地下鉄に乗っていると、目の前に座った老人が立ち上がり、声を掛けてきた。
「旦那、旦那みたいな人が、そんなものつけてちゃいけませんよ・・・」。そう言って、しきりに父の顔に手を伸ばし、何かをつまみ取ろうとする。父は慌てて車窓に映る自分の姿を確認したが、何もついてはいない。「何にもついてないよ、やめてよ」と言う父に、老人は「そんなのつけてちゃおかしいですよ」と同じ言葉を繰り返す。いい加減頭にきた時、老人はある駅で降りた。

 変な人がいるもんだ――そう思いつつも、父は乗り換えのため新宿駅で地下鉄を降りた。そして売店でカップ入りのコーヒーを買い、乗り継ぎの電車が来ているホームへと急ぐ。
 そのとき、一人の女性が「ちょっとちょっと」と父を呼び止めた。「なんですか?」「コーヒー、こぼれてますよ」「えっ?」カップの入ったビニール袋を見ると、穴が開いているのか、たしかにコーヒーが滴って、床まで汚れていた。時間が無いので、やむをえずそのまま電車に飛び乗った。
 やれやれ――。と、思いながらビニール袋を見る。ところが、コーヒーは、全然こぼれていなかった――。

 この二つの出来事を、父は次のように解釈した。実はこの日は、あるお社のお供え物を取り替えなくてはいけない日であったが、父はそれを失念していた。それゆえに、神仏があのような形で注意を促されたのではないか――と。

 仮に父の話を信ずるとすれば、僕が電車で出会った奇妙な女性も、何かメッセージを伝えようとしていたのではないかという気がしてくる。そんなわけはない、と否定したいのだが、一度このように考え出すと気になって仕方がなくなる――結局その日の帰り、僕は実家に立ち寄り、お賽銭を投げることとなった。
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# by priestk | 2004-12-05 00:42 | 雑談
だれが外国人労働者受け入れのコストを負担するのか
 オランダという国は、宗教・言語・民族ごとに住み分けるという知恵によって、安定した社会を築き上げてきた――と、言われていた。そのオランダで、11月2日に起きたムスリムによるテオ・ヴァン・ゴッホ殺害事件は、あらためて異文化共存の困難さを見せつけた。

 もちろん、異文化共存は困難であっても、「可能」である。しかし、それを「可能」ならしめるためには、それ相応の知恵と工夫、そして「共存の必然性」が欠かせない。はたして、日比FTA合意を機に盛り上がりつつある日本経済界の外国人労働者受け入れ論議に、知恵・工夫・必然性は備わっているのか。

 11月29日、日本・フィリピン間で、FTAを中心とする経済連携協定が合意に達した。注目されていた労働市場の開放については、看護師や介護福祉士を条件付きで受け入れることに決まった。

 今回の看護師・介護福祉士の受け入れに関して、「初の労働市場開放」と報じたマスコミもあるようだが、これは事実として正確とは言いがたい。現実に、約80万人の外国人がすでに日本で働いている。80万人といえば、地方の県庁所在地並みの人数だ。

 原則として、政府が外国人に就労を認めているのは、「高度な技術・技能」を要する職種のみだ。いわゆる「単純労働」については、社会的コストの増大を理由に認めていない。しかし、実際は多くの「裏道」が用意されている。「裏道」作りに奔走したのは、自民党労働族だ。

 以前の記事でも触れたが、1990年、自民党の後押した入管法改正によって、日系人の就労緩和が実施された。結果、90年時点では約7万人だった日系人の外国人登録者数が94年には約20万人、2003年には約33万人に達している。日系人には、事実上、就労に関する制限はない。そのため、日系人成人の多くは「単純労働」に就いていると見られる。

 一方、問題になっているのが、外国人労働者の公的医療への未加入や児童の未就学、近隣住民とのトラブル等だ。具体的な対策を求められる自治体では、国に抜本的な取り組みを求める声が高まっている。

 しかし、厚生労働省や文部科学省の腰は重い。「医療費未払いや未就学などの問題は日本人にもある。外国人だけ特別に対応するわけにはいかない」「原則的に、医療保険への加入は雇用主、教育は親の責任」と、国の担当者は言う。

 さて、では外国人を雇用する当の経済界はどう考えているのか。以下、12月1日の日経新聞の記事経団連会長「外国人労働者問題、政府見解は絵空事」から。
日本経団連の奥田碩会長は1日、外国人労働者の受け入れ問題についての経団連シンポジウムで講演し「単純労働者の受け入れは慎重に考えるという政府の公式見解は、既に現実をかけ離れた絵空事、建前になりつつある」と述べ、外国人の秩序ある受け入れを改めて求めた。
 政府の公式見解が矛盾を抱えているとの指摘には同感する。さすがにグローバル企業を率いる会長だけのことはあって、霞ヶ関の官僚より広い視野をお持ちのようだ(^^)。
労働力の不足が見込まれるなか「すべてを日本人だけでやっていこうという考え方は成り立たなくなっている。既に外国人は多数就労し、経済の一部を支えている」と指摘(中略)「重要なのは(外国人を)受け入れるか否かを議論することではなく、いかにうまく受け入れるかを議論することだ」と強調。具体的には「高度人材に限らず、製造業などの現場や看護師、介護士などの分野でも透明で安定的なシステムで前向きに受け入れるべきだ」と提案した。
 この発言には、安易に頷くわけにはいかない。外国人労働者が日本経済の一部を支えていることは、たしかに事実であろう。しかし、先に挙げたように、定住外国人の社会保障、教育、住居等に関わる問題は、未解決のままだ。これらの問題をどのように解決していくのか。その裏づけとなる資金は、誰が負担するのか。企業か、政府か、外国人自身か。その選択を誤ると、異文化共存はもろくも崩れ去るはずである。
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# by priestk | 2004-12-04 04:19 | 外国人労働者論
女性天皇雑感
 Shu's blog 雌伏編さんの「女性天皇」を読ませていただいて、大いに刺激を得たので少し感想を述べてみたい。
 ただし、例によって、体系だった考察をしているわけでもなければ、明快な政策提言をしているわけでもないので、ご容赦のほど(><)。

 自民党が憲法改正草案の大綱試案の中で触れたこともあって、女性天皇の是非をめぐる議論がふたたび活性化している。印象としては、女性天皇を認める意見が主流を占めつつあるようだが、僕自身は「なるようになる」というのが偽らざる気持ちだ。

 天皇家は、時代の流れの中で、時には驚くべき変化を遂げながら今日まで存続してきた。僕は、天皇家が伝統と権威に寄りかかって安穏と続いてきたとは、どうしても思われない。むしろ、歴代天皇の現実的な政治感覚見……わけても時の権力者との絶妙な距離のおき方が重要だったのではなかろうか。

 それでは、現代日本の権力者は誰か。名目上も、実態においても、それは国民であろう。実際、天皇家は、かつての藤原氏や徳川家、薩長藩閥政府とうまく共存したように、今日では、日本国民に対して、その鋭敏な政治感覚を働かせているように見える。

 たとえば、昭和天皇は側室を廃止した。男子誕生の可能性を減らすことになるにもかかわらず、側室を置くことが国民感覚に合わないことに配慮した上でのご判断であったと言われる(ちなみに明治天皇には6人の側室がおり、大正天皇は側室の子であった)。

 昭和天皇のさらに重大なご決断は、皇族どころか旧華族ですらない女性(口の悪い人は「粉屋の娘」と呼んだ)を皇太子の后として迎えたことだ。これに対する当時の天皇家周辺の抵抗感は、いかばかりだったろうか。「これで皇室もお終いだ」との声も出たと言う。
 しかし、結果として、このご成婚によって空前の皇室フィーバーが巻き起こったことは言うまでもない。それと同時に、「普通の家族」としての天皇家が国民に強くアピールされることになった。「民間人」との婚姻は、藤原氏や徳川家との婚姻と同様の政治的意味を持ったと言えるのではないだろうか。

 国民世論は、たしかに深い見識や熟考によって女性天皇を支持しているわけではない。また、皇室の様々な「伝統」は、変えずにすむものなら、変えるべきではないとも思う。しかし、権力者である国民世論の支持なしに、安定した天皇制を維持することは難しい。そのことを一番よく認識しているのは、ほかならぬ天皇ご自身であろう。

 国民の意思が女性天皇を支持すれば、皇室はそれに合わせて「新しい伝統」を生み出していく。支持しなければ、旧宮家を復活させるだろう。どちらにせよ、皇室は存続し、天皇制は維持されるはずである。
 ちょっと楽観的な(天皇制に反対される方から見れば悲観的な)意見だろうか?
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# by priestk | 2004-11-27 16:47 | 天皇論
日朝国交正常化の意義とは
 「日本国財政破綻Safety Net 」のわんだぁさんから、次のような本質的なご質問を頂戴した。

「そもそも、なぜ、北朝鮮と国交正常化しなければならないのでしょうか?」

 正直言って、ウッと詰まった。「あんな国」と国交正常化して、日本にどんなメリットがあると言うのだろうか。これは意外な難問である。とりあえずネットを調べると、外務省の公式見解があるじゃありませんか。以下に簡単に要約する。

外務省ホームページ「外交政策Q&A」(平成13年4月)

 問いは、「北朝鮮との国交正常化は本当に日本の国益となるのでしょうか」というもの。これに対して、外務省は、国交正常化には3つの側面があると答えている。

 第1は、「我が国がかつて植民地支配を行った地域との関係を正常化するという側面」である。つまり、かつて植民地支配下においた国と国交を結ぶことは、歴史的・道義的な意義があると言うわけである。また、約200の国連加盟国のうち、日本と国交を結んでいないのは北朝鮮のみであり、近接している両国が「そのような関係のままでいること自体不正常なことである」と主張する。

 第2は、「北東アジア地域に平和と安定をもたらし、ひいては我が国の安全保障を高める」という側面である。特に北朝鮮の弾道ミサイルは日本にとって脅威である。これを取り除くためにも、国交正常化して対話の場を設けることが、安全保障上の利益に適うと言う。

 第3は、「拉致問題などの人道問題をはじめとする日朝間の様々な懸案において、目に見えるような進展を得る」側面である。「そのためには、いたずらに北朝鮮を孤立に追いやるのではなく、むしろ対話を進めていくことにより、これらの解決の糸口を見出していくほかはない」と述べている。

 外務省は、こうした側面を踏み外さずに国交正常化すれば、日本の国益に資すると考えているようなのだが、果たしてどうだろうか。思いつくままに問題点を列挙すれば、

・国交正常化の「歴史的、道義的な意義」それ自体を「国益」と呼べるのか。歴史的、道義的な意義とは個人の思想信条の範疇に属するものである。北朝鮮との国交正常化に「意義」を感じるかどうかは、当然、国民一人ひとり異なる。国交正常化によって、核開発問題が進展するとか、北朝鮮国内の人権問題が減少するとか、拉致問題が解決するとか、そういうことに結びついてこそ「国益」なのではないか。

・北朝鮮にとって「軍事的牽制」は最後のカードであり、それなくしては、単なる経済破綻国家となってしまう。ミサイル発射実験の一時凍結といったうわべの譲歩はありえても、周辺国にとって北朝鮮が軍事的脅威でなくなるような妥協は、容易に行なわない(というか、行なえない)のではないか。

・拉致問題にせよ核開発にせよ、その解決を求めるということは、北朝鮮を「そうせざるを得ない状況」に追い込んでいくことにほかならないと思う。孤立化させるのも、「対話」するのも、すべてそのための布石である。これは大変な知的作業だ。それにもかかわらず、外務省は「対話を進めていくことにより、これらの解決の糸口を見出していくほかはない」と言う。いささか安易な姿勢だと指摘せざるを得ない。

 つらつら書きつらねてきたが、どうもまだ考えがまとまっていない。問題の指摘は今日はここまでにしておきたい。

 結局、僕が言いたいのは、前回のエントリと変わらない。マスコミは「対話路線」とか「強硬路線」とか騒いでいるが、アプローチはあくまでアプローチであり、目的達成のための「手段」に過ぎない。北朝鮮を日本側の意向どおりに動かすことが出来れば、それでいいのである。そういう意味で、経済制裁論者も、外務省も、ナイーブすぎると思われてならない。
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# by priestk | 2004-11-21 01:23 | 日朝関係論
経済制裁発動で北朝鮮は屈するか?
 北朝鮮から持ち帰られた「物的証拠」の調査作業行われる中、与野党から経済制裁の発動を求める声が広がっている。
 本日(19日)午後には、衆院に「拉致問題特別委員会」を今国会会期中に設置し、「日朝実務者協議で持ち帰った資料の精査、北朝鮮への今後の対応を議論する」ことに自民党と民主党が合意した。
 経済制裁や食糧支援凍結が実施される可能性は、かつてないほど、高まっている。報道からは、そんな印象を受ける。

 拉致問題に関する北朝鮮の対応は、どう見ても誠意あるものとは思えない。問題を解決しようとする姿勢が、そもそも見えない。
 こんな状態で実務者協議を続けていくことに、意味があるのか。相手の出方に合わせて、こちらも相応の手段を取るべきだ――。そう考える気持ちは、大変よく理解できる。

 しかし、ここで熟考しなくてはならないことがある。「北朝鮮が拉致問題の真実を明らかにする条件とは何か」、これである。
 おそらく、真実を明らかにすることは、北朝鮮にとって非常にリスクの高いことなのだろう。ひょっとすると、政権を揺るがしかねないほどに。さもなければ、のどから手が出るほど欲しいはずの日朝国交正常化後の経済支援を我慢して、日本の世論を刺激するような対応に終始する理由が判らない。

 なぜ僕がこんなことを言うのかといえば、経済制裁が北朝鮮に与えるダメージについて、ほとんどまともな議論がなされていないように見受けられるからだ。要するに、北朝鮮政府にとって、拉致問題を明らかにして受けるダメージが50なのに、日本の経済制裁から受けるダメージが20しかないとすれば、ほとんど効き目はないということだ。この辺の勘所を、日本政府や与野党の政治家は掴んでいるのだろうか。

 中には、断固として拉致問題の解決を求めるという日本の姿勢を示すために、経済制裁や食糧支援の凍結を実施すべきだという意見も聞かれる。たしかに首肯できる部分のある主張だとは思うが、この場合、日本政府も十分にリスク計算をしなくてはならない。

 考えるべき第1点目は、国際世論および6カ国協議参加国が日本の行動を支持してくれるかどうかである。特に、日本と比較的立場の近いアメリカおよび韓国が経済制裁の発動に懸念を伝えてきた場合は、日本が孤立化することになりかねない。
 2点目に考えるべきことは、経済制裁を発動しても効果がなかったとき、もはや次に打つべき手はないという事実である。であるからこそ、経済制裁にどの程度の「効果」が見込めるのか、しっかり議論して欲しいと思う。

 横田さん夫妻のご苦悩を思うと、心が焦れる。できることは何でもして差し上げたい、という気持ちになる。
 しかし、「結果」を出せなくては意味がないのだ。威勢のいいパフォーマンスに調子を合わせて、再び拉致被害者のご家族を失望させることがあってはならない。
 そう僕は思う。
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# by priestk | 2004-11-19 19:58 | 日朝関係論