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日本政治の考察
by priestk
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「地震予知」の幻想から目を覚ませ
1978年の大震法(大規模地震対策特別措置法)成立以来、地震予知研究に費やされてきた予算は約2000億円。しかし、阪神・淡路大震災は予測できなかった。被災者の方々が塗炭の苦しみを味わっておられる、新潟県中越地震もしかり。結局、この四半世紀でわれわれが学んだことは、「地震はいつでもどこでも起こる」というあたりまえのことであった……。

というわけで、今回は地震がテーマ。
問いは、ずばり、「地震は予知できるか?」である。
答えから言おう。実用性を要求するならば、Noだ。

1999年、Nature誌は、「地震予知は可能か」についてホームページ上で公開討論会を行なった。賛否両論が噴出したそうだが、7週間にわたる討論の末に出た結論は、「一般の人が期待するような地震予知はほとんど不可能であり、本気で科学として研究するには値しない」というもの。現在では、この結論が世界の科学者の常識となっているようだ。

しかし、日本では事情が違う。
地震予知は、日本の地震対策を規定する大きな柱となっている。
11月7日付け日経新聞社説が興味深い指摘をしているので紹介しよう。(官民で地震と向き合い耐震列島めざせ)。

 1978年に施行されたこの法律(大震法)は、東海地震の発生が2、3日前に前兆現象によって予知され、学者の集まりである判定会議の判断を受けて、首相が警戒宣言を発することを前提につくられている。

 事前に新幹線、原発、化学工場は止まり、高速道路は閉鎖され、危険地域の住民は導かれて、粛々と避難する。このできすぎたシナリオの大前提になっている、地震の短期・直前予知は、現時点では科学的に否定されている。時間と場所と規模を特定して地震の発生を予知するなんて、地球物理学者のほとんどは、科学的に見て当分不可能とみている。
科学的に不可能な地震予知が、法律的に可能とされているのは、なぜか。
そこにあるのは、「政治」という名のカラクリだ。
カラクリを動かしているのは、役人と学者。

北海道大学地震火山研究観測センター教授の島村英紀氏の意見を紹介する(科学を置き去りにした新「地震予知」体制)。

 いままで三〇年以上にわたって同じ方針で続けられてきた地震予知計画は「戦略」に無理があった。前兆を捉えて実用的な地震予知をするという戦略である。いままでの地震予知計画はこの戦略を軸にして、長期的前兆を捉えて地域を絞り込む戦術とか基礎研究とかが組み込まれていたのだった。そして、この戦略が難しいことが露呈したのである。

 じつはこの戦略は、学者によって政府に「役立つ科学」として迎合した形で作られたものだ。国民の地震予知への期待を人質にとっているわけだから、役立つ計画にすれば予算や人員をとりやすかったのである。

 そのうえ、計画の策定とその後の実施の過程には限られた学者しか関与できなかった。閉鎖的に予算を配分していたから、予算を使えたのは、小規模の予算の例外を除けば、国立大学では旧制帝大だけであった。
その後、地震予知についての研究が進むにつれて、地震予知の不可能性が判明した……自然を相手にする研究である以上、それはやむを得ないと思う。問題は、「昨年になってようやく予知なしに突然東海地震が来る可能性を認め、防災計画を作り始めた政府が、いまだに大震法の改定は口にしていない」ことだ(2004年6月13日付け『日本経済新聞』「中外時評」)。

予知が科学的に否定された以上、一刻も早く耐震補強を中心とした施策へとシフトすべきだ。同時に、活断層付近にある原子力発電所や化学工場の移転も検討しなくてはならない。こう言っては失礼だが、平常時でさえあれだけの事故を起こしている原発が、100年に一回の大地震に耐えられるとは到底信じられない。

カネと権限の源泉である「大震法」の存在。耐震補強と原発・工場の移転に必要な莫大な費用。政策転換には、怖ろしく高い政治的コストが必要かもしれない。
それでも、やらなければ。
国民の生命と財産を守るのは、国家の最も崇高な義務なのだから。
by priestk | 2004-11-16 06:55 | 防災・危機管理論
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