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バーとB'zとジャパニーズ・ポップスの起源(書評:兵藤裕己『<声>の国民国家・日本』)
昨夜は友人とひさしぶりにバーへ行った。
迷路のような細い路地をぬけ、雑居ビルの二階へ。 照明はかなり暗いが、バーテンダーの方は明るく丁寧。 気をよくして友人と飲み語らううち、話題はジャパニーズ・ポップス論へと展開する。 僕「ジャパニーズ・ポップスってさ、R&Bとかヒップホップとか海外の音楽を取り入れるけど、それはメロディを輸入してるだけなんだよな」 友人「そうそう、日本に輸入された途端、歌詞が甘いラブソングになって、女々しいんだよ。完全に演歌だな」 僕「『君がいなくては生きていけない~』ってのばっかだ。このメンタリティは世代を超えてるよ。サザン、ミスチル…」 友人「例外はある。B'z。彼らは意識的に演歌的な歌詞を避けて作曲してるんだ。『さまよえる蒼い弾丸』とか」 僕「でも売れているのはちがう曲でしょ」 友人「そうなんだ、『アローン』とか、ド演歌(笑)」 さて、ここで当然の疑問がわいてくる。 演歌的としかいいようがない義理人情を好む日本人の音楽体質は、 なぜ、どのようにして形づくられてきたのか。 この疑問へのとっかかりを与えてくれるのが、次の本である。 兵藤裕己『<声>の国民国家・日本』日本放送出版協会、2000年。 以下、著作の表紙の裏書から抜き出す。 -------------------------------------------------------- 「浪花節の<声>が創る心性の共同体」 日本が近代国家としてスタートするにあたり、 天皇を親とする"日本人"の民族意識を形作ったのは、 近代的な法制度や統治機構などではなく、 浪花節芸人の発する"声"だった。 彼らの語る、忠君愛国、義理人情、無宿渡世のアウトローの物語は、 政治から疎外された人々を、異様な陶酔と昂揚に巻き込み、 無垢で亀裂のない心性とモラルの共同体へとからめとる。 浪花節の<声>という視点に立ち、 近代日本の成立を問い直す問題の書。 -------------------------------------------------------- 以下は僕の感想。 日本人が、自分のことを「日本人」であると意識し始めたのはいつ頃か? これは興味のつきないテーマである。 卑弥呼の時代から日本人意識はあったかもしれない。 ひらがなの発明が日本人としての自己意識の確立という説もある。 明治以降の戦争と新聞によって、大衆レベルにまで民族意識が共有化されたという説も有力だ。 これに対して、兵藤氏は、浪花節こそが日本人の民族意識を形成したと主張する。 なかなかの奇説だ。 しかし、次々と提示される資料を目の当たりにすると、説得力がある。 昭和7年にNHKが行なった第1回全国ラジオ調査の、聴者の好む番組ランキング では浪花節の人気が第一位で57パーセントを占めたという。 浄瑠璃などほかの大衆芸能を大きく引き離していた。 さて、今日の話題は、ジャパニーズ・ポップスの演歌的体質の謎だった。 日本で初めて電波にのった大衆芸能のうち、もっとも好評を博したのが、浪花節である。 一度かたちづくられた民族の音楽的体質は、そうそう変化するものではないはずである。 であるならば、浪花節のもつエートス(社会的心性)は、戦後の演歌へと引き継がれ、 そしてまたジャパニーズ・ポップスへと流れ込んでいるのではないか。 こう考えると面白くない?
by priestk
| 2004-09-18 01:34
| 政治・政治学書籍
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